彫師歴:40年

福島県いわき市出身

    昌芳の名前の由来
  • 以前はマスコミ関係の仕事をしていた私が1971年からペンネームで使っていた名前になります、昌芳の昌という字は実兄の昌孝の昌の字を頂き昌芳の芳の字は「東洋のマタ・ハリ」と言われた川島芳子の芳の字をとり昌芳となりました。 よく二代目彫芳の芳ですか?と聞かれますが・・・

昌芳履歴

  • ■1972年
  • 日本初の刺青美術本を出版にあたり彫り師達の折衝にあたったのが、彫り物界に関わる事になったきっかけです。
    日本の彫り物界の現状が非常に悲惨だった事に気が付き彫り物の研究を始めました。
    1972年~1978年大阪の色メーカーに頼み彫り物用で作った色は1000年使っても使い切れない位量を作りました(笑)当時の新車のTOYOTAクラウン(一台140万円・1ドル360円時代) が二台購入できる金額でした。
    当時は外国から色を購入するという選択肢がありませんでした。

    彫り物で生計をを立てる事が大変難しい事を知り、あくまでも趣味・道楽として続ける事が望ましいと思い飲食・金融等の経営で生活基盤を作り勉強を続けてきました。

  • ■1983年
  • 友人の金融会社社長(伊藤氏)二代目彫芳先生との面談の機会をつくってもらいました。
    目的は刺青本の図柄の使用許可を頂く為でした。
    私はあくまでも企業経営者として成功していた為あくまでも趣味の範囲で成長したい希望を告げ、浮世絵(北斎・国芳)等を参考に絵をつくってきましたが、彫り物の図柄の限界を知り彫り師の中では世界で最高_峰の二代目彫芳の図柄を使用させて頂けたらと思い伺った訳です。結果は快諾。

  • ■1983年~1993年
  • 二代目彫芳スタイルで彫り続けた
    その後ビジネスの忙しさで中断

  • ■1999年夏~
  • TATTOO ブーム到来にて再度彫り物を再開
    洋彫りを彫り続ける事により彫芳スタイルが変化し今のスタイルに到達した次第です。

    彫芳先生が亡き後、遺族の気持ちを考え彫芳先生の図柄を使用していません。
    (彫芳スタイルの写真は1993年以前の作品です。昔のお客様の続きを彫る事は例外ですが・・・)

手彫り道具

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